表現者
1週間ほど前、ちょうどウエサクの満月の日に京都と大阪の境にある天王山に行ってきました。天王山を案内してくれたのは親愛なる米澤紗智江さん。私が天王山に行くきっかけとなったのは、彼女のSNSでした。天王山で毎日のように朝日を拝み、神様との交流や舞の奉納をしている彼女の投稿はとても魅力的なのです。
その日は、朝8時に子どもたちを送り出して京都に向かいました。大山崎の駅に着くと「あちらの神様がお呼びなので最初に離宮八幡宮にご挨拶に行きます」と紗智江ちゃん。離宮八幡宮の鳥居をくぐると、息を呑むほどに美しい景色が広がっていました。木々の揺れる音、爽やかな風とともに鼻先をくすめる土と葉の香り、包容力のある御社からは歓迎の意を感じました。
天王山は想像以上に山道がきつく、息が上がり、汗ばむほどでした。血が巡り不必要なものが解放されて、足元に意識が集まり、心が静かに、気がつくと無心になっていきました。
蛭子神・月読大神・天照大神が祀られている三社宮が見えてくると、心が高鳴りました。靴を脱ぎ裸足で階段を上り、月読大神の祠に手を合わると、自然に手足が動き空を舞い歓喜の思いを全身で表現する私がいました。この日をどれだけ待ち望んでいたことか….。
そこから酒解神社まで更に山道を登っていくのですが、あれほどにきつかった山道が三社宮での舞を境に、ふっと身体が軽くなり、何かに腰のあたりを押されているような、誰かに後押しをされているかのように、ぐんぐんと軽やかに階段を上り、酒解神社につくころには、心身ともに空っぽになって、裸足になり、手を合わせ、身体がおもむくままに踊りました。
それから境内にある大きな御神木を見つけては、手を合わせ、額を合わせ静かな時間を過ごしました。とても懐かしい気持ちになりました。
あれから1週間が経ち、私の中の何かが統合されてきているのを感じています。天王山に行く前の自分が思い出せないですし、もう思い出そうとしなくてもいい、という感覚です。身体も軽く、ずっと感じていた子宮の重みやだるさがすっかりと消えてしまいました。
「それは、祓われたね」と紗智江ちゃん
ほんとに、ほんとに
高尚なものに自分を近づけたいと思う気持ちが自然と薄れてきています。何かを目指したり、もっとこうなりたいという気持ちから“やりたいからやる”とか “楽しそうだから“という純粋な欲求で身体が動くのです。
"”第1希望”を選び行動する、直感的に"
いつも第2希望を選んできた私にハッとしました。幼少期から大好きだったダンス、私自身を表現して解放してくれるダンス。もし、あと半年しか生きられないとしたら、私は踊りたい。
天王山は私に魂の願いを思い出させてくれる場所だったようです。
ことあるごとに、神様からのメッセージを伝えながら山を登ってくれた紗智江ちゃん。誰と一緒に聖地を巡るのかということも大切なことなのですね。
それでは今日も、ダンスのレッスンに行ってまいります!
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